文・杉山真衣子

『クララ・シューマン 愛の手紙 』
原田光子著 北宋社

クララ・シューマン―愛の手紙表紙

クララ・シューマンは言わずと知れた作曲家、ロベルト・シューマン(この書では”ロバート・シューマン”と記載)妻となった女流大ピアニストです。 名ピアノ教師だったその父、ヴィークによってピアニストとしてクララは育てられました。
そして、生涯、愛するロベルトの曲を世にたくさん演奏し、送り出しました。
私はこの本に非常に近い形の書簡形式の古い本を、子供の頃に父が古本屋で見つけて来てくれ、クリスマスにプレゼントしてくれたのを覚えています。
今は間違いなく絶版になっていると思いますが、確か以下の本だったと曖昧ながら、記憶しています。

 ローベルト・シューマン、クラーラ・シューマンー
 『ローベルト クラーラ シューマン愛の手紙』
 ハンス=ヨーゼフ・オルタイル編
 喜多尾道冬・荒木詳二・須磨一彦訳、国際文化出版社、1986。 
 1832年から55年までの往復書簡287編。
 ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの〈まえがき〉と編者による長い〈あとがき〉付。


その頃、私はシューマンのアベッグ変奏曲やト短調のソナタなどを弾いていました。
練習では、シューマンが偉大な作曲家で、楽譜の指示を完全に尊重して、まず きちんと弾かなければいけないと必死だったのですが、クララとシューマンの書簡を読んでからは、何と人間味あふれるロマンティックな人たちなんだろう!と感激して一気に作曲家を身近に感じたのを覚えています。
心の中に花が咲いたようでした。
それは、シューマンの歌曲を聴いた時の感覚に近いです。

今、思えばそんな浮世離れした感覚がなければ、あの名曲たちは生まれなかったのでしょうね。

それと一つ!
クララを恨んでいることがあります!

なぜ、ピアニストが暗譜で弾くという習慣を作ってしまったんですか?
(そこフランツ・リストも!)
後世のピアノ弾きは非常に苦労しています(笑)

《目次》 
第1章:幼女時代(1819-1827年)
第2章:初舞台(1827-1828年)
第3章:ロバート・シューマンの登場
第4章:翼ある人々(1828-1831年)
第5章:クララ、パリに行く(1831-1832年)
第6章:芽生え(1832-1833年)
第7章:霜降る日(1834-1835年)
第8章:春を待ちつつ(1835-1837年)
第9章:嵐
第10章:クララ、ウィーンに行く(1837-1838年)
第11章:恋文
第12章:ひとり旅(1838-1839年)
第13章:戦いは終りぬ(1839-1840年)
第14章:春、光りと雨(1840-1844年)


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杉山真衣子(Maiko Sugiyama)Pf
桐朋女子高等学校音楽科(共学)を経て、桐朋学園大学音楽学部音楽学科ピアノ専攻を卒業。
全日本学生音楽コンクール高校の部 東京大会第2位はじめ、数多くのコンクールで受賞。
モーツァルトピアノコンチェルトK466、ロシアでラフマニノフ2番のコンチェルトの
ソリストを務める。
B.P.MUSIC STUDIO主宰講師、指導歴22年(2017年)現在に至る。
親子で楽しめる地域活動イベントを行うほか、ソロリサイタルや室内楽の演奏会等の企画・
運営・出演など各方面で活動。公財 日本ピアノ教育連盟、日本ギロック協会会員。
これまでに、故村尾アサ子、古藤幹子、故井上直幸、権藤譲子、ノレッタ・コンチ、
故ケンドル・テイラー、玉井美子、大野眞嗣、大石学の各氏に師事。
B.P.MUSIC STUDIO